黒てんこのお便りコーナー第3回(2021/01/09)

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*これはユーモア記事です。この記事内には嘘が紛れています。 また、誰かを傷つけたり貶めたりするような意図はございません。 予めご了承ください。


はじめに

記念すべき「黒てんこのお便りコーナー」第3回です。

「黒てんこのお便りコーナー」とは、皆さまからいただいたお便りに、 私がひたすら返事を書いていくというコーナーです。

今回は2021年01月02日~2021年01月09日の間に募集したお便りに返事を書きます。 届いたお便りは全部で十万通。 お便りを投稿してくださった皆さまありがとうございました。 たくさんのお便りの中から素晴らしいお便りを選りすぐっていきたいと思います。 今回も力作揃い!! 



1通目:精進料理のバイキングさん

お便り

小説、漫画、その他諸々の文を読む際は誰かの声で再生するという事は無く (有名なCVがついているキャラクターであっても)、 ただ活字として脳内処理しています(時々自分の声で再生することもあります)。

これって他の人も同じなのか以前から気になっていました。

黒てんこさんの場合はどうでしょうか。是非お聞かせ下さい。


返事

精進料理のバイキングさん、お便りありがとうございます。

「文章を読むときに人の声で脳内再生されるかどうか」という話、 私も結構考えます。 私の場合、人の声で脳内再生されることが多いです。 再生される声は、著者が分からないときは自分の声で、 著者が分かっているときはその著者っぽい声で再生されます (たとえば男性なら男性の声、女性なら女性の声など)。

漫画ではアニメを見ていればそのキャラクターの声で再生されます。 それ以外ではそのキャラクターっぽい声で再生されます。

人の声で「再生される派」と「再生されない派」に分かれるということは何となく知っていました。 精進料理のバイキングさんはほとんど再生されない派なんですね。 私は再生される派です。

検索して少し調べてみたところ、どうやら「再生される派」のほうが多いらしいです(確証はないとのこと)。

「再生される派」と「再生されない派」の違いって何なんでしょう。 気になりますね。 Twitterでアンケートを取ってみたりすると面白いかもしれません。 というかアンケートとってみてほしいですね(人任せ)。 私もものすごく気になります。


2通目:白滝さん

お便り

宇宙が逆立ちしたらどうなる?


バッカお前そりゃア……………



バカボンが正史になる


返事

白滝さん、お便りありがとうございます。

宇宙が逆立ちしたら面白いですよね。 あの何とも言えない姿。 たまに逆立ちしてくれるんですけど、本当にたまになんであんまり見れないんですよね。 お願いしてもやってくれないのに、私が見てないときに逆立ちしたりするんですよ。 困ったものです。

それはそうと「バカボンが正史になる」というのは本当でしょうか。 宇宙が逆立ちしたところは何度が見た事ありますが、 バカボンが正史になったところは今のところ見たことがないです。 バカボンが正史になったらどうなるんだろう。 くぅ~、悔しい~。見て見たい~。

という冗談はさておき、 「宇宙が逆立ちする」という発想面白いです。 宇宙を生き物であるかのように扱い、 その宇宙が逆立ちしたらどうなるかと考えられるその柔軟な頭。 白滝さんのその発想力には感服いたします。 宇宙に形があることは研究で証明されているみたいな話を聞いたことはあるんですが、 宇宙を生き物として扱う話はあまり聞いたことがないです。 宇宙が逆立ちしたら面白いだろうな~。


3通目:キャットフードさん

お便り

ネクストコナンズヒント

田んぼアート

ネクストコナンズヒント

伊藤家の食卓

ネクストコナンズヒント

ポロシャツ

ネクストコナンズヒント

イカそうめん


返事

キャットフードさん、ネクストコナンズヒントありがとうございます。

せっかくネクストコナンズヒントをいただいたので、 どういった事件が起こっているのか考察していきたいと思います。

まず一つ目「田んぼアート」。 田んぼアートとは田んぼの稲を使って巨大な絵を描く芸術作品です。 この事件は簡単ですね。 田んぼアートがダイイングメッセージになっているんです。 田んぼ農家の六丸さんは隣村の七兵衛に殺害されました。 しかし、六丸さんは死の間際に田んぼに稲を植えたのです。 そして時間が経って稲が育つとそこには「七兵衛」の文字が!  こうして事件解決となったのです。

次に二つ目「伊藤家の食卓」。 犯人は伊東四朗と言いたいところですが、 伊東四朗さんが殺人犯役をやっているところなど見たことがありません。 伊東四朗さんは事件を解決する側です。 ということはどういうことか。 もうお分かりですね?  そういうことなのです。

三つめは「ポロシャツ」。 これはポロシャツを着ている人が犯人です。

最後に四つ目「イカそうめん」。 これは難題ですね。 この日の城ケ崎家は家族全員でイカそうめんを食べていました。 つまり、イカそうめんを食べた人が犯人としてしまうと家族全員が犯人になってしまいます。 やはりそれはありえない……ですよね?  そこがこの事件の難しいところなどであり、 この事件は家族全員が犯人などありえないという盲点をついています!  つまり犯人はイカそうめんを食べた家族全員です。


4通目:新感覚芸能事務所赤提灯戦隊現在新人募集停止さん

お便り

一日だけで画像を6〜7GB程保存した。


返事

新感覚芸能事務所赤提灯戦隊現在新人募集停止さん、お便りありがとうございます。

一日で6~7GBの画像を保存したんですね。 画像は一枚あたり数MBだと思うので、 千枚近くの画像を保存したということでしょうか。 そんなにたくさんの画像とは、どんな画像なのでしょうか。 まあ、だいたい察しはつきますがね。

牛ですね。

今年は丑年。牛の画像が欲しくなる気持ちも分かります。 しかし、一つだけ言っておかねばならないことがあります。 年賀状を送るにしては準備が遅いのではないでしょうか。 やはり年賀状は三が日の間には届けなくてはいけません。 それなのにこのお便りがフォームに届いたのは1月の3日。 ギリギリです。

おや、牛の画像ではないのですか?

ふむふむ。牛ではない……

分かりました。

虎ですね。

来年は寅年。すでに来年の年賀状を見据えて、 今のうちから虎の素材を集めているのですね。 すごい! 凄すぎる!  その計画力と行動力。 賞賛に値します。 私もそのスケジュール管理能力を見習って今のうちから虎を飼うことにします。 これでいつでも写真撮り放題! やったね!


5通目:手相とアロマさん

お便り

黒てんこさん、こんにちわ。

前回のおたより採用、ありがとうございます。

私も、気分転換に小説を書いてみることにしました。

そこで、黒てんこさんに、またまたご相談をさせて頂きたい事が御座います。

私は小説の終わりを描くことが苦手なのです。

起承転までの肉付けは、衝動の赴くまま進むのですが、 どうしても終わりを描く所でいつも頭を悩ませてしまいます。

学生時代にも、思いつきで書き始めて、 完結する事が出来ずに眠ってしまった作品がいくつかあります。

物語を完結させるためのコツなどがありましたら、教えて頂きたいです。


返事

手相とアロマさん、お便りありがとうございます。 本当にお便りが完成され尽くしていますね。 こんな綺麗なお便りを私も書いてみたいです。

そしてTwitterでもお聞きしましたが、手相とアロマさんは学生の頃に小説書いていたんですね!  私たちは出会った当初から仲間だったなんて……小説書き仲間、良い響きです。 手相とアロマさんが再び小説を書き始めるきっかけに少しでもなれたのであれば、 私は本当に嬉しいのです。

しかも学生の頃から小説を書いているということは、 小説書き歴がものすごい長いということになりますね。 先輩! 手相とアロマ先輩! 私のほうが先輩から色々教えてほしいっす!  私は分からないことだらけです。 小説ってなんだろうっていつも考えてます。 だけど先輩、私頑張るから。頑張るからさ。 だからさ、一緒に小説、書こう。

ということで質問内容の「物語を完結させるコツは何か」のことですが、 おそらく手相とアロマさんのほうが詳しいと思います。 私なんか起承転結の「起」を書いただけで満足して、書くことをやめることもあります。 前回お題をいただいて書いた作品「右手で盗んで、左手で返す」も、 あれは「起」を書いたわけですが、 あの状態で結構満足してしまいました。 というわけで私も完結していない作品がたくさんあります。

その上でアドバイスするとしたら(私自身にもアドバイス)、 ありきたりですが、物語を初めから終わりまで作った後に、小説を書き始めるというのはいかがでしょうか。 最低限エンディングさえ決めておけば物語が迷子になることもないと思います。 きっと。たぶん。おそらく。 私も最近は「こういう終わり方にしよう」と考えてから小説を書き始めるようにしています。 そうすると終わりに向かって物語を進めていくだけで済みます。

手相とアロマさんの作品、ぜひ読みたいです。 まずお便りの文章がめちゃくちゃ綺麗きれいですからね。 小説でもその技術力が遺憾なく発揮されることでしょう。 そして内容ももちろん面白い!  絶対に面白い! 読みたい!

楽しみに待ってます。


6通目:宮沢賢治を意識した素人さん

お便り

マクガランと店主

その店は天井から数え切れないほどランプや電球が垂れ下がっており、まるで陽の光の下にいると思えるほど煌々と、ちいさなマクガランを照らしました。

「だけれども、ここがどこかはご存知でしょう?」

おかしなものを見るように店主はマクガランに尋ねました。

「いいえ、ここはなんの店ですか。」

「見てわからないのかね?」

マクガランは天井の電球を見つめました。電球の中にキラキラと輝く小さな水晶の炎が入っています。蒼い切り硝子の電球は青白い光を放ち、まるでステンドグラスのように床を染めました。つるつるした黒い飾りシェードの黄色いランプは炎の中に赤や青、緑、白、様々な光のつぶを揺らめかせて笑っていました。それがなぜだか、マクガランにはさみしく思えました。

マクガランは声を震わせないよう、店主に尋ねます。

「これは何ですか。」

その言葉を聞いて店主は目を丸くしました。

「懐古瓶を知らないとは。…失礼、ご説明いたします。これはね、人の思い出を瓶詰めにして、しまっておくものなんです。人の記憶はね、放っておくとすぐに消えてしまうからね。」

「しまっておくとどうなるんですか。」

「どうなるったって…。いつでもその記憶を見られるようになるんですよ。」

「坊ちゃん、坊ちゃんが赤ん坊だったころのこと覚えてますかい?」

マクガランはだんまりを貫きます。

「覚えてないでしょう?それはね坊ちゃんが赤ん坊から少し成長してきたその間に、毎日のように過去を思い出していたからなんですよ。」

聞いても、聞いても、マクガランにはわけがわかりません。

「昔あったいいこと、わるいことを今思い出したとして、それを感じたときほど心は波立たないでしょう。人の思い出はね、思い出すたびに切り崩されてどんどんなくなっていくんですぜ。だが、あたしの手にかかりゃあ、その思い出は瓶詰めになって、もう、一生のものになるんですわ。」

店主は得意そうににやりと笑って言いました。

「あなたは何のためにこれを作っているのですか?」マクガランは矢継ぎ早にいいます。

すると店主の顔が、曇りました。そうして捲し立てるように、

「どうだっていいじゃあ、ありませんか。 それは、これがあたしの仕事だからです。あたしは、この仕事ができるからこの仕事をしているだけです。これがあたしの仕事なんだ。お前のような子どもにはわかるものか。」と言いました。

マクガランはむっとして言いました。

「こんなもの、いったいぜんたい誰が買うって言うのですか。いまこの店には僕しかいないじゃないか。」

店主はジッポでパイプに火をつけました。じりりと赤い香草が焼けていきます。そうしてゆらりと紫の煙が立ちのぼりました。一呼吸おいて、息を吐いた店主が答えます。

「この店にはいつだってひとりのお客様しかいませんよ。いつだってお客は入れ替わりなんでさぁ。当たり前です。ひとり入ればそのお客が出るまで店に入らないのがルールですから。自分の思い出を見ず知らずの人間に見られたくないでしょう。」

やっぱりわけがわからないとマクガランは思い、眉間にしわを寄せました。

そんなマクガランを見て店主はやおら口を開きました。

「この瓶にはね、楽しい思い出も、嬉しい思い出も、悲しい思い出も、辛い思い出もみんな詰めることが出来るんですよ。だからひと昔前のお葬式の機には、飛ぶように売れたもんですわ。死んだ人との思い出を瓶に詰めてね、ぴかぴか光るそれを棺に入れて、みんなで眺めて。楽しかった、あの頃はよかったなんて懐かしむんです。そして、お別れのときに瓶を割って一緒に日に焚べるんですわ。その人がたくさんの思い出とともに空に昇っていけるようにね。 昔の若いやつらはみんな死んだときにはたくさんの懐古瓶に囲まれたいと思ったもんですよ。 それだけたくさんの人に愛されたいってね。」

「覗いてごらんなさい。こいつはあたしの妹が死んだ時に作った瓶ですわ。」

店主はカウンターの引き出しから、薄桃色に光る綿菓子のようなものが入った錆の浮き出た豆電球をよこしました。

マクガランはおそるおそるその親指ほどのそれを覗きました。

橙と薄紫の混ざった絹のような空の中で、ふたりの子どもの影が楽しそうに遊んでいます。大きさの違うふたつの影が離れては近づき、近づいては離れていくのが見えました。 なぜこの瓶は割られずに残っているのだろう。

「いまでもここら辺ではやってますけどね。そうか、山の向こうではこの瓶のこと、みんな忘れちまってるんですね。」

マクガランは急にこの店主のことが可哀想に思えてきました。

たった1人で他人の思い出を瓶詰めにすることのなんとさみしいことだろう。

私はしばらく黙っていました。

...いまでも昨日のことのように思い出せます。


返事

宮沢賢治を意識した素人さん、素敵な小説ありがとうございます!!

素晴らしい作品でした。 こんなにもしっかりとした作品が送られてくるのは初めてです。 ありがとうございます。 最初から最後までワクワクしながら読むことができました。

私は宮沢賢治についてあまり詳しくないです。 それでも宮沢賢治っぽさを強く感じる作品だと思いました。 また、童話のような柔らかい口調は安心感がありますよね。 読んでいる間、フワフワした感覚に包まれていました。

人の思い出をしまっておける懐古瓶を販売する店主と、その店にやってきたマクガランのお話。 マクガランは懐古瓶を知りません。 そのことに店主は苛立ちを見せながら懐古瓶の説明をします。 懐古瓶は一昔前なら飛ぶように売れていました。 しかし、それは今はあまり売れていないということを表していると思います。 それではなぜ懐古瓶の文化は廃れてしまったのか。 このことについて考えると面白そうですね。

たとえば懐古瓶に代わるものが新しく登場したというのはどうでしょう。 現代でいえばビデオカメラのようなものができて、 もっと手軽に記録を残せるようになったことなどが考えられます。 ビデオカメラの登場により懐古瓶は居場所を失った。

そして最後の行。 このお話自体が懐古瓶にしまってあると考えられます。 マクガランは懐古瓶のお店にやってきて、 そこでの思い出を懐古瓶にしまってみた。 だからこそ昨日のように思い出せるということなのかなと考えました。

本当に面白いお話でした。

続き、待ってます。


7通目:シジマ タマキさん

お便り

私は日記や絵を書くことを、一方間違えれば自傷行為にもなり得るだろうと考えている。

自分自身を、客観的にみる、ということはとても難しいことだと考える。人はよく嘘をつく生き物だし、知り尽くした自分をだますのなんていうのは、造作もない。

そのとき、本当に思っていたことや考えていたことは、自分のなかでゆっくりと変化し、都合よく作り変えられてゆく。あるいは、都合よく記憶から消されてゆく。 そして、自分が本当に考えていたこと、思っていたことはわからなくなってしまうのだ。

ただ、厄介だと考えるのが、その「騙し」が、自分にとってもほとんど無意識下に行われることだ。

それでも何故日記や絵をかくのだろうか?それは、私にとって自分を知ることが、自分の精神の安寧に繫がるからだ。自分の思考を言語化することが、癒やしとなるからだ。

自分を知ると、安心する。得体の知れないもの、というのは恐怖を感じる。それが身近であればあるほど、その恐怖は増す一方だ。得体の知れない自分というものは、恐怖の極みなのだ。そんな自分を解き明かしてくれる日記、絵というのは良いモノだと思う。

思いのままに文章を書くのは気持ちいい。思いのままに絵を描くのも気持ちいい。私をいやしてくれる。それは、裡に溜め込んだものを吐き出し、気づきを与えてくれるからだ。溜め込んだものを出力し、順序を整え、見なおしてみると、どうして自分が怒っていたのか、悲しんでいたのかを知ることができる。あるいは、そんな風に感じなくても良いことだったと気づくことがある。

そんなことであれば、日記や作品でやらなくても良いだろう、という向きもある。それはその通りだ。けれど、自分の悩みを他のひとに見てもらうのは、その先の理解は、心地よい。

だったら、SNSでも良いだろうか?勿論わたしも使う。けれど、そこには閉塞がある。毎度、同じ相手に発信し続け、必ず一定の「いいね」が貰える。必ず返信がある。それは優しい閉ざされた世界で、ゆっくりと沈みゆくような錯覚に陥る。

黒てんこ先生にとって「小説を書く」という行動はどのような意味合いがあるのでしょうか? 当方、まどろっこしく考える性分なので素敵な作品を書かれる先生の行動原理、心理というものが知りたいです。


返事

シジマ タマキさん、素敵なお便りありがとうございます。

「先生」なんて読んでもらえて本当に嬉しいです。 しかし、私はそこまでの人間ではありません。 自分が書く文章にほとんど自信を持っていませんし、 小説を書き始めたのも本当に最近です。

私が小説を書き始めたきっかけは単純に本が好きだったことです。 本を読むことが好きで特に小説をたくさん読んでいました。 そしていつしか、自分でも小説を書いてみたいと考えるようになりました。

人生で初めて書いた小説は剣と魔法のファンタジー作品でした。 ものすごくありきたりな設定で、 しかも完結させることはできませんでしたが、 とても楽しみながら書くことができました。 そしてその後もオリジナル作品や、 ジョー・力一さんを主人公とした二次創作作品などの小説を書いてきました。

私にとって「小説を書く」とは趣味の一つです。 自分の時間を費やすに値するものだと思っています。 小説を書くことも好きだし、 最近は文章を書くこと自体も好きになり、 ブログの記事も積極的に書いていこうと考えています。

ここ一年間ほど小説を書いてきて思うことは、 「小説を書いていると自分の考えがまとまっていく」ということです。 小説を書くとき、自分の考えを文章に落とし込む必要があります。 そのとき自分の考えと向き合うことになります。 しかも、なんとなく考えるというようなものではなく、 より具体的にしっかりと考える必要があります。

自分の考えを文章に落とし込むというプロセスを何度も何度も繰り返すことで、 自分の考えが整理されていきます。 それは、自分が何を考えているのか知ることに繋がり、 その点ではシジマ タマキさんのお話とも似ていることかもしれません。

質問の答えとして、私にとって「小説を書く」とは、 趣味の一つであり、 自分の考えを知る手段でもあります。


8通目:シジマ タマキさん

お便り

長い長いお便りを三通(二通?)も送ってしまい、申し訳ありませんでした。

現在、やらかしたあとの激しい動揺のなかにいます。すみませんでした。


返事

シジマ タマキさん、お便りありがとうございます。

私は短いお便りも長いお便りもどちらも好きです。 つまり、どんなお便りでも嬉しいのです。 お便りは私にとって一番の宝物なのです。

あれは八年前の冬のことでした。

私は家の裏手にある森の中で虫取りをしていました。 狙うは「ハラル蛾」という大きくて鮮やかな蛾です。 ハラル蛾は雪が積もる北陸の地に生息していて、 雪の中を舞うその姿は言葉を失うほど美しいのです。

私は二時間ほど森の中を探索しました。 すると小鳥蛙が住む湖を見つけました。

小鳥蛙が言います。

「ハラル蛾とな? ハラル蛾ならもう少し奥のほうじゃな。だが気を付けろ。今日は吹雪く」

私は小鳥蛙に礼を言うと、再び森の探索に戻りました。

森の奥へ奥へと進んでいきます。 すると小鳥蛙の言っていた通り、空には灰色の雲がどんどん濃くなっていき、 やがて雪がチラチラと降ってきたのです。

「まずい、雪だ。寒い、寒い」

私は独り言を呟きました。 半袖半ズボンの私には、冬の雪は厳しいのです。 夏の雪ならば耐えられるのですが、冬の雪となると本当にもう駄目なのです。

雪はどんどん強くなっていきます。 もうこれは吹雪きと呼んでもいいくらいの雪です。 日本海側の雪は鋭く冷たく、海の水を吸って固く尖っています。 私は落ちてくる雪に当たらないように気を付けながら森の奥へと進んでいきます。

そしてついにハラル蛾と出会ったのです。 ハラル蛾は森の奥の奥、吹雪く黒い森の中をゆらゆらと舞っていました。

ハラル蛾は言いました。

「あっ、黒てんこじゃん。お便り届いているよ」

「ども。あざす」

こうしてお便りが届きました。ありがとうございます。 またのお便りも楽しみにお待ちしております。


9通目:青鯖さん

お便り

足の爪ってさあ、臭ぇよな


返事

青鯖さん、素敵な詩をありがとうございます。

足の爪、臭いですよね。 実際に臭いのは爪というか爪の間に挟まったやつでしょうか。 あの皮膚の垢や汗が混ざり合ったような匂い。 独特な匂いですよね。

それに対して手の爪は臭くないですよね。 手は外に出ているからでしょうか。 つまり、靴下や靴に閉じ込められている足は、 空気が籠ってしまうから臭くなるのでしょうか。

ということは下駄を履けば足の爪は臭くないのでしょうか。 私、気になります。 青鯖さんはいつも下駄を履いていますが、 それでもやっぱり臭くなるのでしょうか (こんなことを訊いてしまってすみません)。

それとも下駄は下駄で他の部分が臭くなったりするのでしょうか。 たとえば鼻緒など臭くなりそうです。 私は下駄を履いたことがないのでわかりませんが、 青鯖さんならきっとこの謎を解き明かしてくれることでしょう。 だっていつも下駄を履いているから。

青鯖さんはなぜいつも下駄を履いているのでしょうか。 勝ってなお願いで恐縮ですが、教えていただけますと幸いです。

それでは最後に詩を。

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下駄ってどこで売ってるの?

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10通目:キャットフードさん

お便り

最近、長い文章とはいきませんが、怪文を作るために昔見た怪文を久し振りに見たりしています。

その怪文達の中で、頭おかしい部類に入り、当時ある意味衝撃を受けた怪文を見たのですが、やはり頭おかしいとしか言い様がなかったです。

内容と致しましては、サッカー選手の本田圭佑が拉致されて、まぁ所謂対魔忍な体にされるんですね。

その体を黒ずくめの男と、全裸の長友選手にまぁ、あんなことやこんなことをされるんですね。

そして、カンボジア国民のですね、化粧室的な役割になる事を本田圭佑が誓うんですね。

なんでこんなことを思い付くのか。

一応本編は18禁なんで、18歳未満は見ない方がいいですよ。

これ、他にも本田圭佑が前澤友作の孫だったりジャパネットたかたがデリバリーになったりとか、無茶苦茶で面白いくてたまにこういうのを参考にしてお便りを書く時もあるんですよね。

PS.この怪文を書いてる人が作った動画があるんですが、以前もちのアレでその動画のお便りを送った事があります。


返事

キャットフードさん、お便りありがとうございます。

怪文を書くの楽しいですよね。 常に怪文を書きたくて書きたくてたまらなくなる時ってありますよね。 怪文さえ書いていれば他には何もいらないですよね。

それに対して、私は他人の怪文を読むことはほとんどありません。 なぜかと言うと、読むのが大変だからです。 怪文は、書くのは比較的楽なのですが、読むのはかなり大変だな~と個人的に思っています。

あと、追伸に書いてあった動画は、 「もちのアレ#14」の「何すこってんの?」のコーナーで紹介されていたものですね(1:52:11~)。 せっかく教えていただいたので見てみました(私は天界における8歳ですが、地球上では256歳なので18禁に引っかかることはありません)。

超絶短編茶番祭の「幸福論」。 何一つ理解できませんでした。 ここまで理解できないのは生まれて初めてです。 小学生の頃に図書館でフランス語の小説を読んだ時のことを思い出しました。

そして「幸福論」の動画の概要欄。 この概要欄でお腹いっぱいでした。 せっかくだしブログも読んでみようかなと考えたのでしたが、 怖くなったのでやめておきます。

概要欄に載っている「幸福論」の解説はすべて読みました。 とりあえず理解できたことは、 あの数秒にとてつもなくたくさんの情報が詰め込まれていることと、 私にはそれが何一つ理解できないということでした。

ちなみに、私が「これ怪文みたいだな」と思ったゲームは「ディシプリン*帝国の誕生」です。


11通目:こしあん大佐さん

お便り

黒てんこさん、はじめまして。

ツイッターにて「何でも歓迎」という文言を目にしまして、初めてこちらにお便りを送ります。拙い文ではございますが、お目通しいただけますと幸いです。

わたくしごとで恐縮ですが、実は、死体に恋をしてしまいました。

それは、完璧と言って差し支えのない恋です。

突然このようなことを言われて、戸惑われていることかと思います。すみません。経緯をご説明いたします。

私はつい先日まで、精神を病んでおりました。何をする気にもなれず、何もできない現状をどうする気にもなれず、といった具合に。やっていることといえば息を吸って吐くくらいのもので、ただ時間が過ぎ去るのを待つだけ。そんな日々を過ごしていました。

しかしある日、どうしたことか、本当に突然「どこか遠くへ行きたい」という衝動が湧き上がったのです。私はコートを羽織って、財布だけをポケットにねじ込んで、他は何も持たず、何かに突き動かされるようにして、早足で家を出ました。着いた場所は、もう何年も人の手が加わっていないような、深い山奥でした。

どうしてそこへたどり着いたのか、今となってはよく覚えていません。何せその時は心を病んでおりましたので、そのままのたれ死んでも誰にも迷惑がかからない場所を選んだのでしょう。何も産み出せない、日々を無為に過ごすことしかできない人間が、そのままこの世を去ってもいいように、と。

道とも呼べない山道を歩いて行ったその先で、私は“それ”と出会いました。

もしも私が“それ”と普通に出会っていたならば、きっとこんなにも心打たれることは無かったはずです。血の通った健康的な肌の色であったならば、黄土色のその皮膚を綺麗と思うことは無いでしょうし、傷ひとつない身体であったならば、腹の内に何が存在しているのか分からない薄気味悪さに苛まれていたでしょう。言葉を発するのであれば、その一言一句に一喜一憂し続けて、今以上に精神を病む可能性だってありますし、眼が開いていれば、この国に生まれた大半の人間が持つ、泥沼のようなその色に嫌気が指していたことでしょう。

だから、“それ”を視界に収めた瞬間、私は恋に落ちていたのです。

血の気の引いた雪のような白い肌に。

鮮やかな赤色が至る所にべったりと広がるその身体に。

無防備に小さく開かれたままのその口元に。

長い睫毛が影を落としたまま、ぴくりとも動かないその目元に。

きれいだ、と掠れた声で呟いた瞬間、ほとんど死んでいた私の身体に、血が巡り始めたのを感じました。心臓は脈打ち、興奮のあまり、後頭部が軽く締め付けられるような感覚さえありました。

それが持つ全てを美しいと感じて、全てを愛おしいと感じました。

枯葉と土に塗れた黒髪から、力なく投げ出された足先まで、その全てが、この世で何よりも美しいものであると、信じて疑わなかった。

ただひとつ。

かすかに上下しているその胸元だけが、気に食わなかった。

黒てんこさん、私は、それへの恋心を完璧なものにしたかったのです。

跳ねるように脈打つ心臓を、興奮で血液がのぼって熱くなる頬を、多幸感のあまり震える指先を、それら全ての「生きている」という感覚を、何よりも確かなものにしたかった。

そのためには、どうしようもなく、邪魔だったのです。

“それ”の胸元が、かすかに上下しているという事実が。

どうか、誤解のなきように。私は、何もしませんでした。

文字どおりに、何もしませんでした。

ただ、しばらく経って、“それ”から、邪魔だと感じていたものが無くなった瞬間、私は恋をしていたのです。完璧と言って差し支えのない恋を。

微動だにしなくなった身体が、あとは冷たく、硬くなることを待つだけの存在が、どうしようもなく美しくて、愛おしくて。

気づけば、感動のあまり眼から涙を溢していました。

そうしてようやく、確かに生きているという実感を、私は得ることが出来たのです。

“それ”は死体となりました。しかし、私は“それ”から、「生きている」という実感をもらい、今もこうして生活をしています。

尽き果てたはずの命は、私という存在に、確かに受け継がれたのです。

人とはこうして生を繋いでいくのだと、身をもって知ることが出来たのです。

なんて美しい話だと、そうは思いませんでしょうか?

よろしければ、黒てんこさんのご意見を教えていただけますと幸いです。

この物語はフィクションであり、実際の人物・事件・団体等とは一切関係ありません。念のため。

作り話の類ですので、ご感想やご意見などいただけますと幸いです。

長々と失礼いたしました。


返事

こしあん大佐さん、こちらこそはじめまして。

お便りありがとうございます。

素敵な恋をなされたんですね。 恋愛においても多様性が注目されている昨今、 たとえ「死体」が相手でも文句を言う人は誰一人としていないことでしょう。

そして文章がとてもお綺麗ですね。 文章から熟練者の匂いがプンプンしています。 謙遜していても私には分かりますよ。 こしあん大佐さん、小説書いてますね?  私も趣味で小説を書いています。 勝手にこんなことを言うのは恐縮ですが、私たちは物書き仲間ですね。 とても嬉しいです。

このお便りコーナーを始めてから、 小説を書いている方々にお便りをいただけることが何度かありました。 私は仲間がどんどん増えていくような気がして、 嬉しさで毎日泣いてしまうようになりました。 嬉し泣きというものはいいものですよね。 心が満たされます。

ちなみに、私も死体に恋をしたことがあります。 しかし、死体といっても人間ではなく猫の死体です。

私が生まれたときから、我が家では茶色い猫を飼っていました。 その茶色い猫と私は、一緒に暮らして、一緒に成長していきました。 そして私が中学校を卒業するころ、茶色い猫は死体となってしまいました。

私はその死体を自分の部屋に飾りました。 悲しくて悲しくて毎日その死体を眺めながら泣き続けました。 そしていつしか私はその死体に恋をしていたのです。 理由は分かりません。

その死体がまだ死体ではなかったとき、 私と”それ”は家族でした。 家族に恋をするというのは一般的ではないとされていますが、 私はその死体に恋をしたのです。 もしかしたら家族だったからこそ恋をしたのかもしれません。 元々家族だった”それ”が、死体となって家族ではなくなった。 その変化が私自身にも何か変化をもたらしたのではないかと、私は考えるようになりました。

そして今でもずっと、私と”それ”は一緒に暮らしているのです。


12通目:雷おこし薫子さん

お便り

今日さ。行ってきたよ。

どこへ行ったのかって?

もちろん秘密だよ。


返事

了解です。

(自作自演お便り)


おわりに

以上で「黒てんこのお便りコーナー」第3回終了です。 お便りコーナーを3回やってみて、 お便りは10通~15通くらいがちょうどよく返事を書けそうな数だなと感じています。 また、その場合の文字数は1万5千~2万くらいとなり、 読むのにもちょうどいい文量かなとも思っています。

今回は長文のお便りがいくつか届きました。 お便りフォームは初め最大千文字にしていたのですが、 今回から最大一万文字にしました。 これで小説作品なども送りやすくなったのではないかと思います。 そして、今回長文の作品を送ってくださった方々ありがとうございました。 面白かったです。

さて、来週は「黒てんこのお便りコーナー」第4回です。 皆さまからのお便りを心待ちにしております。


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